今日は仕事もなくて学校もない、俗にいう休日。
けれどハラオウンの家族は仕事で、はやてもなのはもそれぞれ仕事。
アリサとすずかはそれぞれ家庭の事情らしくて、予定の空いてる人は居なかった。
だからつまり、私は今日1日を一人で過ごすことになっていた。
【ねこのいる休日】前
「―――…ん」
起きたのは朝6時。本当はもうちょっと寝ていたかったけど、目が覚めてしまったのだから仕方がない。二度寝を諦めてベッドから降り、部屋を出て向かったリビングのダイニングテーブルに置かれていたメモを見つけた。
『朝食の用意が出来ずにごめんなさい。材料はあるから、ちゃんと食べてね。夜には帰れると思うから、そうしたらみんなで食べましょう。
リンディ』
柔らかい雰囲気の伝わる字体で書かれたそれ。リンディ母さん直筆の置き手紙。
忙しい身なのに気に掛けてくれる気持ちが嬉しくて、その手紙の空いたスペースに『ありがとう。お疲れ様』とメッセージを添えた。
一旦洗面所に向かって顔を洗い、今度はキッチンに行って冷蔵庫を開けた。
中から卵とベーコンを取り出して、取り敢えずベーコンエッグかなぁと考えながら調理を進める。
途中でパンの存在に気付きトーストにして、あぁ…野菜も良いなぁなんて思いながら簡単なサラダも付けた。
飲み物に珈琲を用意すれば、一人で食べるにしては些か豪華な朝食になった。…リンディ母さんはこれぐらいを用意してくれるが、それは本人も一緒に食べるし、一人で食べるのとは訳が違う。
「まぁ…いいか」
仕事中ははっきり言ってこんなに食べられない。時間が取れない、というのもあるが、どうも私は忙しいと食事を忘れがちになるとして有名らしい。
空腹を感じなくなるっていう自覚はある。…食事のことで優秀な補佐官の手を煩わせているという自覚も無い訳ではない。
そもそもその優秀な補佐官の陰にはとある人物の影が見え隠れしていて、『ちゃんとしっかり食べて下さい!…じゃないと私が怒られます』とまで泣き落とされた時には流石に改めなければならないなぁと思った。
ともあれ今は空腹を感じている。…仕事以外でならしっかり食べてるんだよ?と、今は離れた場所にいるとある人物に心中で言い訳をして、席に着き手を合わせてからトーストをかじった。
食事も終わった頃、急に天気が気になってテレビを付ける。最近、此方では天気の状態が不安定らしく、私が昨日夕方頃に仕事から帰ってきたときにも激しく雨が降っていた。
テレビを見ながら珈琲を含む。誰も見ていないからとは言え少々行儀が悪いかも知れないなぁとぼんやり思う思考に、今日の天気予報を告げる声が届いた。
『今日は全体的に晴れ間が見えますが、所により、一時雨が降るでしょう』
降水確率は午後の方が高い。
…午前中なら晴れているだろうか。そう思い、珈琲を飲み干して食器を片付ける。歯を磨き部屋に戻って、着っぱなしだった寝間着からジーンズにTシャツ、パーカーといった簡単な服装に着替える。
どうせ暇だ。少し外でも歩こう。
長い間連れ添う相棒はもちろん、他は財布と携帯しか持たずにほとんど手ぶらで家を出た。
時刻はまだ8時。この時間では開いている店はほとんどなく、休日だからか、人影もまばらだ。
なのはが良く訓練場として使っている桜台の登山道まで行くと、ウォーキングをしているご老人の方を良く見掛けた。恐らくはご夫婦で肩を寄せ合って歩く姿。立ち止まって深呼吸を繰り返す人。中にはランニングをしているご老人もいたりして少なからず驚いたのは内緒。
…私も体を動かしたくなって、取り敢えず今居るところから一番高いところまで走ってみることにした。
…正直、きつかった。
思えば自分の脚で走るっていうのは体育以外ではやらないことだ。…仕事では文字通り飛び回っているし。これは体力的なことをもう少し考えなくてはならないかも知れない。立っていることも疲れたので、私はその場に寝転んだ。
草むらに寝転がって空を眺める。
こんな時間は…大分懐かしい。
―――思い返すのは昔の記憶。大切な恩師である人との訓練の合間に、こうして原っぱに寝転がって、同じように空を眺めた。
それはちゃんとした“フェイト”としての記憶。…上書きされたものではなく、私自身の大切なもの。
「リニス…」
瞼を閉じれば、未だに鮮明に思い出せる。
魔法が上手く出来たとき、失敗したときに誉めてくれたり励ましてくれた優しい表情。
心配させたことだって何度もある。
その度に掛けてくれた言葉の一つ一つも覚えてる。
…感謝の気持ちも謝罪の言葉も、まだまだ伝えたいことが沢山ある。
「………」
体を起こす。少々…感傷に浸りすぎた。
うっすらと滲む涙は拭って無かったことにする。
…寂しい気持ちは、ないと言えば嘘になる。
けれど、もう何年も前の話だ。こんなに大きくなってまでそんなことを言っていたら、笑われてしまう。
元気にやっていることだけ、伝えられたらどれだけ良いだろう。
パーカーのポケットに忍ばせた相棒を指先で撫でる。大切な人からの贈り物で、今までも、そしてこれからもずっと一緒のとても大事な存在。
「…帰ろう」
立ち上がって歩き出そうとしたとき、…背後の茂みからガサガサッと物音がした。咄嗟に振り向き身構える。が、特にこれといった変化もなく、首を傾げた。
「気のせい…かな」
自分を納得させて歩き出す。暫く歩くと…何かが後を付いて来るような音がした。
私の足音に続いて、パタパタ、と軽い物音がする。
立ち止まると、その音もやんだ。
そして
「にゃー」
振り返ると
猫がいた。
薄茶色の、フサフサとした毛並み。
一般的に見掛ける猫とは何かが違うその猫は、もう一声鳴くと私の足元に寄ってくる。
「…?」
その場にしゃがみ込んで手を出してみると、私の顔をじっと見た後で指先を舐めた。
「ふふっ」
くすぐったいのと、可愛らしい仕草とで思わず笑みを零す。
暫くそうしてじゃれていたが、肌寒さを感じて空を見上げると、先程までは晴れていた筈の空がうっすらと曇っていた。
一雨来るかも知れない。そう思って、名残惜しくも帰宅することを選ぶ。
「…またね」
立ち去り際に猫に声を掛ける。会えるかどうかは分からなくても、何故かそう言わずにはいられなかった。
…そうして歩き出した私のと、響く足音がもう一つ。
てくてく
ぱたぱたぱた
てくてくてく
ぱたぱたぱたぱた
私の足音と小刻みなリズム。立ち止まって振り返ると、そこにはちょこんと座って首を傾げる猫。
「…にゃー」
「………」
再びしゃがみ込むと、足元までやって来てその猫も座る。
懐かれたらしい。
嬉しいけど、どうすれば良いか分からず苦笑が漏れる。
このまま家まで付いて来るだろうか。
連れて行っても平気なのだろうか。
考えている内に頭頂部にぽつりと滴を感じ、その内に辺り一面は雨に煙る。
「にゃー…」
「…ん、行こうか」
逡巡し、パーカーを脱いで猫を包む。
もしここで別れてもこの猫はついて来るかもしれないし、ついて来ないにしても雨の中で置き去り、というのは気が引けた。
それに…何やらこの猫に「連れていって」と言われたような気がする。…気のせいだとは知りつつも、取り敢えずはこの小さなお客人…猫を家に招待することにした。
途中のコンビニで傘を買い、帰宅したは良いが大分濡れ鼠になってしまった。
雨脚は強くなるばかりで風もあり、ほとんど傘は意味がなかったように思う。パーカーの中の猫だけは濡れないようにと気を配り、玄関先で抱きかかえた猫を降ろす。
猫は私を振り仰ぐと、そのまま私の足元で座り込む。
「ちょっと待っててね」と声を掛けて廊下を進み、取りに行ったタオルで髪を拭きながら戻れば、そのままの状態で猫は待ってくれていた。
「おまたせ」
「にゃ」
私の言葉が分かるのか、猫は短く鳴いて返事をした。
微笑ましくて笑みが零れる。…シャワーでも浴びようと思ったが、その間この猫にはどうしてもらおうかと考えた。招き入れた以上は玄関に居させ続けるのも悪い気がしてしまう。取り敢えず腕を広げれば跳んできたので、どこかにタオルでも敷いてそこにいてもらおうかと思い至った。
…思い至った筈なのに、何故か今は猫と一緒に風呂場に居る。
なんだか私の方が、この猫と離れているのが落ち着かない…なんてことはない、…と、思いたい。
兎に角、浴槽の蓋の上に猫を座らせて髪を洗う。体までを洗い終わった頃、浴室内に鳴き声が木霊して、見ると猫が前脚で顔を洗っていた。
…飛沫が飛んだだろうか。申し訳なく思いつつも、同時にあることを考え、…それを躊躇うことなく実行に移すことにした。
「君も洗うかい?」
ピクリと耳が動き、暫くして私の近くに着地する。お湯を温めに設定し、驚かさないようゆっくりと湯をかける。
一応はアルフ用に用意しているシャンプーの量を少なめにして、全身を洗っていく。
元々の毛がフサフサだからか、ちょっとの量でも直ぐに泡立ちまるで泡だるまみたいになって可笑しかった。
「にゃー…」
猫は振り向き不満そうに鳴く。口元に浮かぶ笑みをどうにかごまかし「ごめんね」と一言。すると猫は顔を私の方から前方に戻した。
全身を洗い終わり泡を流して再び蓋の上に乗せる。猫は全身を震わして勢い良く水気を飛ばした。
「ちょっとだけ待ってて」
もう誤魔化しきれなくなった笑いをかみ殺しつつ、さっと体に湯を掛けて猫と一緒に浴室を出た。
リビングで、ドライヤーの温度を調節しながら猫の毛を乾かす。ピクリピクリと耳が動くが、それ以外はとてもおとなしい。
念入りに乾かし、その後で私も髪を乾かす。
ドライヤーを置きに行き、戻って早々に猫を抱きかかえソファーに身を沈める。
適当に引っ張り出した黒いズボンと紺のカッターシャツには、早くも猫の毛が付いていた。
暫くじゃれてると小腹が空いたような気がして、時計を見ると10時を回っていた。…お昼には大分早い。
「お腹空いた?」
「…」
猫は首を傾げる。…先程傘と一緒に買ったキャットフードを皿にあけて差し出した。鼻先を近付けて匂いを嗅ぎ、一口食べる。
「…にゃ」
…猫のしかめっ面は、多分見間違いだと思う。
「美味しくなかったかな。ごめんね?うちにはドッグフードしかないんだ」
アルフはこっちの世界出身じゃないのに、何故かこっちの世界のドッグフードを好む。因みにアリサから分けてもらう高級品。…割とグルメらしい。
「君もグルメなのかな」
私はたまたま見つけたクロワッサンをかじりながら珈琲の準備をする。視線の先では猫がちょっと食べては匂いを嗅ぐの繰り返し。…そのうちにこちらを見た猫は不満そうに鳴き声を上げる。首を傾げると、今度は私に向かって飛び掛かり、右ストレートで私のくわえていたクロワッサンをはたいた。
「わっ」
驚いた拍子にクロワッサンはテーブルに着地。猫は私の顔を睨んでくる。
「…食べたいの?」
「…」
猫は無言で椅子を見る。
「…あ、うん。ごめん」
座って食べなさい。そういうことらしい。
私は珈琲を含み、猫は空になった皿を眺める。
「全部食べてくれたんだ」
お皿を洗いに行くと、猫はその後を付いて来る。
しっかり者の猫。観察されている感は否めないが、悪くないなどと思ってしまう私は暢気過ぎるだろうか。
リビングで何とはなしにベランダを見れば、…雨はすっかりやんでいた。
ベランダの硝子窓からは暖かな日差しが惜しげもなく降り注ぐ。直ぐにリビングはぽかぽかした陽気に包まれた。
「雨…やんだね」
「にゃ」
「…君はまだ居る?」
「…」
「…居て欲しい、かな」
この猫はひとときのお客猫。雨がやんだ今、本当なら元居たあの場所へ送り届けた方が良いのだろう。
けれど…ここに居て欲しいと思った。
本当は一人で過ごしていた筈の時間を一緒に過ごしたからだろうか。今更一人になるのは寂しい…なんてことを考える。
迷惑じゃないならここにもう少し居て欲しい。そう言うと、猫は私の足元に寄り添うように身を擦り寄せてきた。
「…ありがとう」
猫を抱えて、日差しの良く当たる場所まで向かった。
クッションを二つ持ってきて一つは猫に貸した。じゃれつく猫の抜け毛の量に驚きつつも微笑ましく思う。手を出せば飛び乗って、肩までを猫は器用に渡ってくる。
「あっはは、くすぐったいよ」
肩口に乗っかる猫はまたも器用に頬を舐めてくる。…まるで慰められているみたいで、嬉しさとほんの少しの照れ臭さを誤魔化すように猫を腕の中に閉じ込めた。
「にゃっ」
「くすくす…、つかまえた」
猫の毛並みに顔を埋める。柔らかい毛並みからは僅かにシャンプーの匂いがした。
仰向けに寝転がり、両脇を抱えて鼻先を摺り合わせると、鼻先を舐められた。今の私はきっとふにゃふにゃとしまりのない顔をしているだろう。誰も居ないということが少なからず有り難いと思った瞬間だった。
「…ほんと、あったかいな」
横向きになって抱き締めても、猫は時々私の指や顔を舐めてくるぐらいでおとなしかった。こうやって動物を抱き締めるのは初めてのことではない。…けれど、今は何故か、そのどれとも違うような安心感を感じていた。
もっとこう…特別な何か。
ひどく懐かしい思いがして、涙が零れた。
「…にゃあ」
「あぁ、ごめん。かかっちゃったね。…ん、大丈夫。悲しい訳じゃないんだ。
…なんだか…安心しすぎて」
猫は、私の涙を舐めとった。
「…ありがとう」
その行為に安堵を感じたのか、もしくは陽気の影響か。
私の意識は、暫くすると深く沈み込んでいった。
…フェイトが寝入った後、猫は器用にその腕から抜け出した。
そしてフェイトからさほど離れていないところで立ち止まると、…その身はやがて光に包まれる
それは、みるみるうちに人型を成して―――
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後編へ続きます。
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